科学革命の構造

科学革命の構造

科学革命の構造


科学革命がどのように起きるのかということを、科学史家の立場から書いた本。科学革命という言葉自体が本書によって定義づけられている言葉であり、前半部分そもそも科学革命とは何か、ということを説明する序章となっている。そして後半において、科学革命がどのようにして起きてきたのか、その構造を説明する。
また、さらにその大前提として、科学史から見た科学の発展・発達の仕方の説明も行う。一般的に科学の発展とは、それまで積み上げられてきた科学研究の結果を元に、さらなる詳細研究や、他の分野との関連付けを行っていくものと考えられている。しかし、そのように蓄積的な研究を行っても、革新的な科学の進化を得る事ができないという事が分かってきたのだという。

もし、科学というものが、現在の教科書に集められているような事実、理論、方法の群れであるなら、科学者とはある特定の一群に、成功すると否とを問わず、ある要素を加えようと努力している人間のことにすぎない。そうなれば、科学の発展とは、科学知識やテクニックの山をだんだん大きく積み上げていく過程にすぎない。そして科学史とは、この知識の積み重ねを数え上げたり、その集積の障碍となるものを並べ立てる年代記に過ぎない。(中略)しかし近年に至って一部の科学史家は、「累積による発展」という科学観にもとづいてやっていけないことにだんだん気がついた。(p.2)

そして、そのような累積的発展によってはこれまであったような革命的な科学的進歩が得られない事に気がついた科学者たちは、徐々に違った方法でアプローチをするようになってきた。

徐々に、自ら意識していない事も多いが、科学史家たちは新しい疑問を発し、科学の発展コースの単なる累積とは違った線を描き出そうとし始めてきた。現在の水準に対する昔の科学の永久不変の貢献度を求める代わりに、その時代の歴史的な実態を示そうとする。(p.3)

そして、そうしたアプローチを行うことによって、今まで科学史家たちが信じてきた科学の前提をひっくり返すような、革命的な発見が生まれることとなる。本書ではそれを科学革命と呼んでいる。

専門家たちに共通した前提をひっくり返してしまうような異常な出来事を、この本では科学革命と呼んでいる。科学革命とは、通常科学の伝統に縛られた活動と相補う役割をし、伝統を断絶させるものである。(p.7)

また、科学革命が生まれる前段階、つまり現在通常だと考えられている科学者たちの共通した認識を、パラダイムと呼んでいる。

1740年と1780年の間に、電気の研究家たちは、初めて初めて電気研究の基礎が固まってきた事を認めた。その時点から彼らは、もっと具体的で突っ込んだ問題に取り組み、研究結果を、一般知識人に向けた本によりも、専門家仲間に宛てて書いた論文に発表する事がますます多くなった。グループとして彼らは、古代において天文学者が、中世において運動の研究家たちが、17世紀後期において物理光
学者、19世紀初期において地史学の研究家たちがなしえたものを、獲得したのである。パラダイムの獲得、―一つの分野を科学と呼ぶためには、これほどはっきりした基準は、他には見つけ難いだろう。(p.25)

つまり、一つの科学分野における共通した前提がパラダイムであり、パラダイムから外れて別のアプローチをとり新たなパラダイムとして確立させる事が、科学革命を成し得る方法である。また、自分が籍を置くパラダイムによって、科学に対する考え方は全く異なる。

ある人が、科学者が原始論についてどう考えているかを知ろうとして、有名な物理学者と化学者に、ヘリウム原子は分子であるのか、ないのか、と聞いたとしよう。二人とも躊躇無く答えたが、その答えは同じではなかった。化学者にとってはヘリウム原子は気体運動論に関して分子のような性状を呈するから分子であった。一方、物理学者にとっては、ヘリウムは分子スペクトルを示さないから分子ではなかった。おそらく二人とも同じ粒子について語っていたのだが、彼らは自分たちの慣行を通してそれを見ていたのだ。自分たちの研究の経験からして、分子とは何でなければならぬか、を知ったのである。(p.57)

またパラダイムと科学革命の関係において、パラダイムが正確であればあるほど、科学革命が起こり易いということがある。パラダイムを信じていればいるほど、ちょっとした変則性があるとすぐに気づいてしまうといっや具合にだ。

そのパラダイムが正確で、より徹底したものであればあるほど、変則性をより敏感に示すことになり、そしてそこからパラダイムの変更に導くのである。(p.73)

パラダイムに一つの変則性が見つかり、さらにまた別の変則性が見つかり、というように、どんどんと既存のパラダイムに当てはまらない問題が出てくると、パラダイムはもはやパラダイムではなくなってしまう。共通認識こそがパラダイムであり、それが崩れてしまえば遂にはパラダイムの崩壊、そして科学革命が引き起こされるわけである。
そして最後に、新たにパラダイムが受け入れられるための条件として、多くの科学者たちの間に議論を巻き起こさなければならないということを挙げておく。注目されなければ、それは科学革命でも何でもなく、ただの計算ミスで済まされてしまうことだってあるわけだ。

一つのパラダイムが勝利を勝ち得るには、始めに若干の支持者を勝ち得て、その人達が頭の固い連中の議論を呼び起こすところまで、そのパラダイムを発展させるようにならなければならない。このような議論が起こっても、それだけでは決定的ではない。科学者は、訳の分かった人間であるから、最後には理解する人も多いだろう。しかし、単一の論証だけでは彼ら全部を回収させることはできない。一つのグループの改宗を勝ち得るだけでなく、専門家の大部分の信用を徐々に勝ち得るようにならなければならない。