ラオス旅行記--ラオス小学生との交流と興味の限界突破


経験は、早いうちに、時間のあるうちに、体力のあるうちに、積んでおくのが良いという思想は素晴らしい。
価値を生み出す手段として知らない文化に触れるということ - THINK CIRCUIT

ということで、未だ見知らぬ地ラオスへ行ってきた旅行記をここに残しておきたいと思う。それにしても子供の頃以来の外国は、それを感じさせない飛行機輸送技術の発展を感じた。

ラオスの話

こちらの人たちの生活は緩い。日本にいると考えられないほどだ。例えば空港のセキュリティチェックの人とかも座って談笑していたりする。
日本でよく見るエスカレータの右側を歩く人用に開けておくなんて常識はラオスからしてみれば全くもって意味不明だろう。
国民性によるんだろうが、ラオスでは飢餓はほとんど発生しないらしい。もともと食物が豊富な国で、生きていくための食物は普通に暮らしていれば足りてしまうらしい。栄養失調になっている子供もいない。そのせいか、基本的にラオスの人たちはすごくのんびりである。
そしてみんなして宝くじを売っていたりして、びっくりした。ちょっとでも稼ぎがあるとみんな宝くじに走る。仕事をして発展しようとかいう意識はあまりないんじゃないか。

△市場で宝くじを売る人たち。ラオスのセコン県ではどこでも宝くじを売っている人がいる。


それから、ラオスの人たちはどこでも寝ていたりする。すごく危ないところでも寝てる。幹線道路の脇とかでも寝ていた。ラオス最高や。

メコン側沿いの洞窟付近で寝るラオス人。ちなみにこれは体調不良とかで休んでいるわけでない。ただ寝てるだけとの事。

とは言え、経済発展が必要でないというわけではない。

教育支援の話

ラオスの教育環境についての話をしておこう。


△今回はスタディツアーという事でラオスの村へ行って小学生との交流とをするというのが主目的であった。ラジオ体操第一inラオス

先にもラオスは食物が十分にあるので生きていける国と言ったが、そうは言っても国民が全員読み書きができるかと言えばそうではない。こんな事情がある。

ラオスの教育事情

ラオスの小学校で小学校5年までの全ての学年を完備した学校は全国8600校のうち3500校しかないのが現状らしい。
なので、学年が変わるごとに違う地域の学校に通わなくてはいけない学生もたくさんいる。中には通うには遠すぎて通うのをお諦める子供いるとか。
それから、村では学校を村の資金で立てることで、政府が専任の先生を派遣してくれるという制度になっている。
しかし農業で食べている村では現金収入が無い場合が多いので、そもそも学校を建てられずにいつまで経っても教育インフラが整備されないという問題が発生する。

識字率の問題

ラオスの成人の識字率は男性が77%、女性が61%。これはつまり親が子供に文字を教える事ができないということを意味する。
ラオスでは母国語による教育が軽視され、口承で文化を伝えることが多かったため、社会に本が出回っていないということがある。例え子供が勉強をしたいと思っても、教育教材も無いというのが実情だ。
今回のツアーでも絵本やノートや書くもの(ボールペンは意外にも普及していた。しかし3色ボールペンは物凄く珍しいらしい。)を寄贈したが、もっと教科書や学習教材があれば良いという話を現地のガイドさんい聞いた。

経済発展の必要性は

それでもラオスは今後経済発展をしていく必要があるわけで、そうでもしないといつまでも先進国に言い様に搾取される側になってしまう。
だから将来を背負って立つリーダーがこの子たちの中から出てくる必要があり、少しでもそうした支援になれば幸いだなと感じた。
しかしラオスの小学生達の屈託のない笑顔を見ていると、本当に日本のように発展し過剰労働国になる必要があるのか、というのは深く考えるとこではあった。


ラオスの小学校の授業風景。



△それにしてもラオスの小学生達の笑顔が眩しさよ。日本の小学校の風景とはちょっと違うよね、という話を一緒に行った人たちとしていた。

興味の限界突破

島国日本の特殊性

日本は島国だから外国に行くためには必ず海を超える必要があって敷居が高い、という事を考えていた。
当然沖縄に行くときは飛行機に乗って海を超える必要があるけど、基本的にそれ以外の土地に行く時には空の移動が発生しない。
島国であるがゆえに外国に移動することが他の国より敷居が高いし特殊である。

言語の壁

言語の壁もあるだろう。
ヨーロッパとかアメリカとか大陸国は海が隔てているわけではないので言語の壁が低い。まさか国境を渡ったら一切言葉が通じなくなるということはないだろうし。
大陸の人たちは言語の壁をそこまで意識しないのではないかな、と思う。
但し日本は逆だ。海を渡ってしまえば言語が違う。コミュニケーションの手段としての言語が必要だ。

しかし実際にはそこまでの違和感は無い。海を超えても単に移動時間が長いだけで思った以上にラオスは近い。
だから実際に国の違いを違いたらしめているものはそんな海を挟んでいるとか言語の壁であるとか言うもの以上に違うものなのでは。

とは言え、外国との接触性という点において大陸国よりも劣っていることは確かなので、僕が日々やらなくてはならないのはその活動限界を拡げることと限界との戦いなんじゃないかと。
自分の興味の軸から外れた所を観るというのは難しい。なぜなら自分がこれまで溜めてきたレベルと経験値が一切通じない。そこで僕は強くないニューゲームを強いられる。それでも知らない場所やコトに足を突っ込んで行く事で強制的に先行体験して強制的に興味の限界を突破させるのである・・・。
何か無理矢理にでもスイッチを捻る必要があるわけだ。


締め方もわからないので、パクセーからルアンプラハンからへ向かう飛行機からの写真を載せて締める。

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

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7つの習慣読んでいれば高速で読める。内容は同じだと思う。

パラダイム

  • 問題がある人物本人には、自分に問題があるという事が見えなくなっている。
  • 組織の中には細菌が巣食っており、その細菌が様々な人間関係の問題を引き起こしている。
    • →細菌とは何か?人間関係の問題を引き起こす原因、つまり自己欺瞞であり箱である。
  • 人間は、相手が自分の事をどう感じているか察知して、それに反応する。

箱の中と外

  • 人を見る時に、他の人々をあるがままに、自分と同じ様にまっとうなニーズや望みをもった人々としてみるか、あるいはそうでないか、の二つがある。前者は箱の外にいるが、後者は中にいる。
  • どうすれば箱の外にいけるのか?
  • 自分をあるがままの人間として見てもらうと、頭の切れるひとはさらに頭を働かせ、よく働く人はさらに懸命に働く。
  • 相手の利益ばかりを考えていると、自分の要求が通らないのではないか?特に仕事においては。相手の立場に立っていては進まない仕事もあるのではないか。
  • 箱の外にいる状態で事業を進めることができるのか?
    • →ハードな内容を伝える時も箱の外に出たままでいられる。それは、相手を一個の人間として見ている時に限られる。
  • 相手が箱の中に入っていたらどうなるのか?
  • 自分の感情に背くと、全ての思考や感情が、自分を正当化し始める。
    • 自分の感情に背くと、現実の見方が歪んでしまう。相手の欠点を正当化の理由にしたり、自分の長所を過大評価したりするようになる。
    • →感情に背かなかったから箱には入らない。最初から尊重の念があれば箱には入らない。
  • 自分の感情に背かずに過ごせる日は無い。自分の感情に背き続けると、自己正当化が自分の正確に、箱になってしまう。

結果、箱に入っている状態が普通になってしまう。

箱の外に居続けるには?

  • 相手が箱に入っていたらどうすれば良いのか?
    • →自分が箱の中に入っている事で、相手も箱に入ってしまい、結果的に自分の望まない結果を導いてしまう。箱の中に入っていると自分中心になってしまい、最善の結果にならない。
  • 誰かに対して箱の外に出たいと思った瞬間、もう箱の外に出ている。なぜなら、相手を人間として見ていればこそ、外に出たいと感じるからである。
  • どうすれば箱の外に居続けられるか?
    • →箱の外に出ている時に、自分が他人に対して為すべきだと感じる感覚を尊重する。

非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門

論理的な文章の書き方

論理的な文章の基本は問題→結論→理由。結論を支えるための根拠、具体例や理由をしっかり呈示する。

伝達効率を意識。読み手に分かりやすく。そのために結論を最初に持ってくる。そうでなければ論理構成は要らない。日記などは読み手に伝えるためのものではないため、論理的に書く意味は無い。

何故論理的な文章を書くのか?
→自分の思っていることを伝えるために。根拠が無ければ、思っていることは多くの人には伝わらない。

MECEは簡単ではない、特に「漏れなく」は難しいと思う。「ダブりなく」書けるようになれば論理的には破綻しないので、ダブりなく根拠呈示できるようになると良い。

ロジカルツリーは便利。

結論、根拠、具体例、反論に対する備え、全て用意できると良い。

文章の並べ方は自由。伝達効率が全て。

感想

かなり分かりやすいしためになるのでおすすめ。但し実際に問題に対して論文なり解答を書いてみないと身に付かないと思った。個人的にid:Chikirinさんの文章は論理展開が明快で分かりやすいと思う。
これとか→2012-11-03 家電業界が誇る経営軽視の歴史

日本のブルー・オーシャン戦略 10年続く優位性を築く

日本のブルー・オーシャン戦略 10年続く優位性を築く

日本のブルー・オーシャン戦略 10年続く優位性を築く

イノベーションを起こし、新しい市場を創造する。良書。

なぜイノベーションが必要か?

  • 業界は寡占化するため、同じ立地ではいずれ業界はシュリンクする。
  • 科学技術の進歩により価格は下がる。

事例

ブルーオーシャン戦略の本質は破壊的イノベーション
日本では安部義彦氏がブルーオーシャン戦略提唱の先駆け。

イノベーションの条件は?破壊的イノベーションor持続的イノベーション

持続的イノベーションの限界:パナソニック、シャープ(シャープは運が悪いと思う、液晶集中は独自戦略として正しい、但し転地が遅かった)、AppleiPhone5の限界)

価値を生み出す手段として知らない文化に触れるということ 

運良く会社スタディツアーの機会が有り、11月25日まで、ラオスとタイに行くことになった。
ルートはバンコク経由でラオス入り→ラマラー村→ピアマイ村→ルアンプラハン→バンコク→帰国。


経緯という訳では無いが、出発時間も迫る中、ラオスという恐らく今後も行かなさそうな国に行くに当って今思っている事を書いておこう。

僕は言葉を語るときに、あくまで自分の国で、文化があって、人が居て、という前提で物を語るしか手段がない。

言わずもがな、言葉を語るというアウトプットには資源の投入が必要だ。これまでに無かった視点での気づきという資源を得ることで、多面的なアウトプットを出すことが出来るようになるのではと考える。

これまでに無かったインプットとは、読書であったり人との出会いだったりインターネットであったりするが、効果的で効率的な手段としてうした経験を積むことを選ぶの理にかなっていると思っている。

恐らく知らない人と接触するということは、相手の文化や言葉、文化背景を理解の助けになる。

見知らぬ文化との接触は、新たな価値が生まれるスタートであり、そもそもそうした発見は純粋な好奇心から生まれている。つまり、好奇心なくして新たな価値も無ければ、そもそものインプットも無い。

見知らぬ土地に対する好奇心は、新しいものを生み出すのは必然である。

単純に違う土地に行くという行為に対する敷居を自分の中で下げておきたいというのが僕の本音だろうか。

僕はそもそもあまり海外旅行をする方ではなく、せいぜい国内旅行であり、国内についても大して色々なところに行ったという訳ではない。

それでも、昨年は一人で色々と回ってみたが、色々と面白い経験をしたし、漠然としては移動のイメージを掴んだりしていた。そうした経験で得られるものは、じっとしていても一生得られるものではない。習うより慣れろか。

今この時にラオスに行くということについて、僕の年齢も少なからず影響している。できれば体力的にも余裕のある若いうちに外国に行っておきたいという点において。

経験は、早いうちに、時間のあるうちに、体力のあるうちに、積んでおくのが良いという思想は素晴らしい。

夏休みでも何でもない時期に仕事を休んで海外に行くのは結構エネルギーを使うし、時間も、手間もかかる。いずれ僕なんかが年をとっておっさんになれば今でさえ限られた時間は更に少なくなるのだろう。

経験効果による熟練という意味でも、単に経験を積むという意味でも、できるだけ若いうちに色々な経験をしておく方が、色々楽しいのでは。

ところで、向こうで泊まる村には電気と水道が無いらしい。蛇口をひねれば水だ出てくる日本の素晴らしさよ。

ブログ論1<みんな何でブログを書いているのか>

RSSでブログを見ながら色々な事を考えていたら、みんな何でブログを書いているのかなと思いました。限られた時間を使って、なぜみんなブログを更新するのか…。この件について少し書いてみたいと思います。

前提条件

今ブログも結構流行ってていて、ブログを書くひとも随分多くなったように思います。人気の記事とかを読んでいると、ブログを書いて人生を変えよう!とか、本を読んでいても、ブログを書くことで新しい発見や出会いが生まれるきっかけになることも多いようです。最近だとはあちゅうさんの本を読んでいても彼女はブログが根本にあるのだなあと思いました。また、ブログを書くひとにも色々な人が居ます。プロブロガーと呼ばれる人であったり、趣味で毎日更新している人であったり、会社のPRのためにブログを書いている人であったり、自分の備忘録にしている人も居ます。そこで疑問に思ったのが、「ブログを書くべきなのか、書くとすれば、どのように書けば良いのか」という問題です。折角なので、この問題に付いて考察をしてみたいと思います。

枠組みを考えます

この問題を考えるにあたって、必要な枠組みを設定してみます。

先ずブログ作成過程の枠を設定したいと思います。すぐに思いつくのは、何を書くのか(WHAT)、どうやって書くのか(HOW)、どのくらいの時間を使って書くのか(WHEN)、ブログを書く目的は何か(WHY)という所でしょうか。先ずこれらを縦軸にとると何か出てきそうな気がします。当然ながら、誰が書くのかと言う問題に付いては本人が書くことを想定しますので、考慮しません。そしてそれぞれに付いてカテゴライズをして、マッピングを行いたいと思います。

次に、主体の分類を行いたいと思います。主体を抽出するに当たってもどのような分類を行うかという問題があります。良さそうな分類が出てきませんが、ここでは、ブログに置ける収益性の観点から分類を行おうと思います。つまり、ブログによって収益をあげていない(個人ブログ)、ブログで1円以上の収益がある(個人ブログα)、ブログで生活していける収益がある(プロブロガー)。こうして見ると、ちょっとバランスが悪い気がします。僕の感覚ですが、90:9:1くらいのような気がしました。

ブログを書く人のためのマッピングを作った(※間違い)

個人ブログ(90%くらい) 個人ブログα(9%くらい) プロブロガー(1%くらい)
WHAT(何を書くのか) 備忘録、趣味 副業のようなスタンス 仕事としてのブログ
WHY(なぜ書くのか) 趣味で書く 趣味が興じて読者のために書く? 仕事なので書く
WHEN(どのくらいの時間を使うのか) 10分〜30分
HOW(どうやって書くのか) 身の回りで起きた事、専門分野について リサーチ ルーチン化?

よく考えたら、これ自分で書けるの1列目だけなのでは・・・。これはまずいです。僕はブログで収益をあげていませんので、収益を上げている人たちがどうやって何を目的にブログを書いているのかと言う事は、聞いてみないと分からないと言うことが分かりました。

重要な問題がもう一つあります。横軸の取り方がバランスが悪いので、面白い結果が出そうにありません。僕のイメージではブログの分類は個人ブログが多いのでその中をもう少しカテゴライズした方が良いような気がします。

先が長そうなので

そもそも枠組みを作り直す必要がありそうですが、個人ブログなので30分くらいで辞めておこうと思います。次は主体のカテゴライズをもう一度考えてみたいと思います。さようなら!

三朝庵

最近は食べに行ったお店の事しか書いてないな、と思ったけどそもそもブログ自体殆ど書いていない事が分かった。まあブログなんて暇な時間がある時に書くものなので、そんな暇も無いくらいやる事があるというのはある意味幸せなことかもしれないね!


三朝庵

食べログ 三朝庵


早稲田駅に駅前にある老舗の蕎麦屋。外観からも老舗である様子が伺えるのだが、中に入るといかにもという雰囲気で、壁に貼られた写真やメニューの書いている木の板などが更にそんな雰囲気を醸し出す。基本的に料理が美味しくなかったらお店なんて潰れてしまうと思うので、僕は長く続いているお店の味というのは比較的信頼しています。大体10年以上潰れずにやっているお店は美味しいものです。今日はざるそばを食べましたが、美味しくて良かったです。



△ざるそば600円。量が少なめなので男性は大盛りにした方が良いと思う。これは普通盛り。



そば湯の入っているポットがなぜか西洋風。そば湯ウマい。


美味しかったので、また行くよ!