価値を生み出す手段として知らない文化に触れるということ 

運良く会社スタディツアーの機会が有り、11月25日まで、ラオスとタイに行くことになった。
ルートはバンコク経由でラオス入り→ラマラー村→ピアマイ村→ルアンプラハン→バンコク→帰国。


経緯という訳では無いが、出発時間も迫る中、ラオスという恐らく今後も行かなさそうな国に行くに当って今思っている事を書いておこう。

僕は言葉を語るときに、あくまで自分の国で、文化があって、人が居て、という前提で物を語るしか手段がない。

言わずもがな、言葉を語るというアウトプットには資源の投入が必要だ。これまでに無かった視点での気づきという資源を得ることで、多面的なアウトプットを出すことが出来るようになるのではと考える。

これまでに無かったインプットとは、読書であったり人との出会いだったりインターネットであったりするが、効果的で効率的な手段としてうした経験を積むことを選ぶの理にかなっていると思っている。

恐らく知らない人と接触するということは、相手の文化や言葉、文化背景を理解の助けになる。

見知らぬ文化との接触は、新たな価値が生まれるスタートであり、そもそもそうした発見は純粋な好奇心から生まれている。つまり、好奇心なくして新たな価値も無ければ、そもそものインプットも無い。

見知らぬ土地に対する好奇心は、新しいものを生み出すのは必然である。

単純に違う土地に行くという行為に対する敷居を自分の中で下げておきたいというのが僕の本音だろうか。

僕はそもそもあまり海外旅行をする方ではなく、せいぜい国内旅行であり、国内についても大して色々なところに行ったという訳ではない。

それでも、昨年は一人で色々と回ってみたが、色々と面白い経験をしたし、漠然としては移動のイメージを掴んだりしていた。そうした経験で得られるものは、じっとしていても一生得られるものではない。習うより慣れろか。

今この時にラオスに行くということについて、僕の年齢も少なからず影響している。できれば体力的にも余裕のある若いうちに外国に行っておきたいという点において。

経験は、早いうちに、時間のあるうちに、体力のあるうちに、積んでおくのが良いという思想は素晴らしい。

夏休みでも何でもない時期に仕事を休んで海外に行くのは結構エネルギーを使うし、時間も、手間もかかる。いずれ僕なんかが年をとっておっさんになれば今でさえ限られた時間は更に少なくなるのだろう。

経験効果による熟練という意味でも、単に経験を積むという意味でも、できるだけ若いうちに色々な経験をしておく方が、色々楽しいのでは。

ところで、向こうで泊まる村には電気と水道が無いらしい。蛇口をひねれば水だ出てくる日本の素晴らしさよ。