僕とブログとTwitterと最高のインターネット

ブログとTwitterとインターネットを超える遊びなんてない

ブログの意義とインターネットにおける人との距離感

最近よく考えていたブログってなんだろうってずっともやもやしていた。別にそんな考え込む事じゃないだろって言われるかもしれないですが、僕は結構ブログに費やしている時間が長くて、本の感想ばっかり書くので、本を読んでいる時間もブログ書く時間に含まれているような、複雑な気持ちになります。最近は、本読み過ぎてた感あるので、そうは言ってもまだ今年で24冊だから普通ですが、ちょっと他の事に時間回そうかとか、計画段階。
そんな事はさておき、ブログの話。何でブログ書くのかとか。結局、ブログ書いていないと、インターネットにいない事になっちゃうんですよね。ツイッターでも同じで、ツイートしていないと、いないと同じなんです。そもそもいないと言うのは、今のインターネットしている感覚からすると、すごく勿体ないなあという気がするんです。ちゃんと発信していれば、ブログを毎日更新したり、ツイッターで面白いことを言ったり、面白い情報をリツイートしたりしてると誰かが見てくれていると思うんですね。やらなくても情報収集だけはできるんですけど、自分が発信する事で見える世界が違うと思うし、何よりインターネット上で発信した方が面白い事が多いと思います。ツイッターでも、ブログでも、はてブのコメントでも何でも構わないとは思います。ぼくもこの前むかしからすごいなぁと思っていた人のブログにはてブでコメントを残したらツイッターでリプライを返して頂いて感動したものです。結構、インターネットって近付きたい人にすぐ近づける世界なんじゃないかなぁと。元々有名人の方とかは別ですけど、それこそインターネットで個人参加の時代ですから、有名人でなくても面白い人が沢山いる訳です。僕も真剣にインターネットやるようになってから、この人はスゴイ!という人を何人も見つけました。そう言う人達はだいたい今でもブログを書いたりしてます。
ちょっと論点はずれますが、だから僕はブログは大事だなぁ思っています。すごいと思う人は大体ブログを書いているんです。ブログでの発信力があることが、その人のパラメータを表すというパラドックスかもしれません。何というか、僕がすごいなあと思う人は、インターネットの世界では何をもってしても発信することが一番大事だということを身を以て実践させれているのだと思っています。どれだけすごくても、インターネット上では発信しないと存在が分からない訳です。リアルですごく業績を残している人とかは、自らが発信しなくても周囲が話題を振りまいてインターネット上でも有名になるということがあるかもしれません。それでも、今ではそう言う人でもインターネットでの情報発信というのをだいぶ意識されているのではないかなぁと思います。僕はいまちょうど20代中盤なので、いわゆるデジタル・デバイトに負けないようギリギリ頑張る世代なんじゃないかなぁと思います。僕の場合だ小学生の時にWindows95が発売されて、中学生でホームページを作って、高校生でYouTubeGoogle、大学生になってmixiTwitterからのweb2.0、社会人になって他にもFacebookなどのソーシャルメディアが一般化してきたようなの時代です。インターネットに対する感覚は、結構世代によって違うんじゃないかなぁと。

「インターネットする」という言葉に対する感覚<インプットとアウトプット>

僕はTwitterで「インターネットしたい」と呟く事があるんですが、この発言は矛盾を含んでいます。Twitterでツイートしているという事は当然インターネットをしているということになります。でも僕の感覚としてはあくまでTwitterしているということで、インターネットしているということにはならないんです。確かにTwitterをすると言う事はインターネットという行為の中に当然含まれる訳ですが、感覚的には違うんです。僕の感覚では、インターネットしている状態というのは、インターネットの海から情報を拾い集めてふるい分けをしている状態なんじゃないかなあと思います。インプットの状態がインターネットをしているという感じで、ブログを書いている時や、ツイートしているときや、Tumblrでリブログしているときは、インターネットしているという感覚ではないのです。言葉の捉え方の問題化と思いますが、この辺には結構世代に違いがあるのではないかなぁと思っています。

ここでやっと最初の話につながる部分が出てくるのですが、インターネット上でブログやTwitterでの発信行為をしていない場合、僕が先ほど述べた「インターネットする」と言う言葉がそのまま「インターネットする」ということになります。インプット=インターネットする、アウトプット=ブログを書く、ツイートする、という構図になるのですが、アウトプットが無い状態だと、インターネットをすること=インプットをすること、となり、そこに齟齬が産まれる可能性が生じます。すごく分かりにくい説明になってしまいましたが、インターネット上でアウトプットをしている人と、インプットのみを行っている人では、インターネットというものの捉え方が違うのではないかという話でした。

Facebook」と「ブログ・Twitter

上でアウトプットの話について書きました。僕が良く思うのは、友達のブログ読むのは面白いなあという事です。友達がみんなブログを毎日更新していたら、とても面白いと思います。しかし、残念ながら友達でブログを書いている人と言うのは多くはないと思います。特殊な環境にいれば別かもしれませんが。Twitterで恒常的に呟いている友達というもの、普通の環境にいる普通の人であれば、あまりいないような気がします。しかし、Facebookを見てみると、ウォールの流れはとても早く感じます。これも形としては一つのアウトプットですし、写真と一言を添えて簡単にPostできるようにしたり、リンクを貼ってYoutubeを直接見られるようにしてアクティブなユーザを増やしたFacebookはとてもすごいと思います。しかし、ブログやTwitterに対して、Facebookでの投稿が決定的に違う所があります。それは、インターネット上に対して、その情報がオープンか否かということです。FacebookにPostされる情報は自分が把握している友達にしか公開されません。一方、ブログやTwitterはインターネット上全世界に対して公開されます。これは全然違う事です。例えばFacebook上の友達が100人だったとしたら、1:100に対して、ブログとTwitterの場合には1:6,840,507,003です。見られる範囲の桁が全然違います。ここで友達にブログを書くひとは少ないという事に対する一つの示唆があるのですが、自分の発言に対する感度、責任の違いが、そうしたオープンなウェブツールの敷居を上げているのではないかと思っています。実際には、一人でブログを作って、何か書いてみて、誰か見てくれるかと言ったら、よほどの有名人か、何らかの才能が無ければ、最初からそんな事は無いと思います。それでも、自分の発信行為が世界に対してオープンであるということは、実際にそうした行為に対する敷居を上げているような気がしています。
僕はブログもTwitterFacebookも、他にもTumbrlや、はてなブックマークと言ったウェブツールを利用していますが、やはり思うのは、インターネット上でオープンな人とのやり取りが出来るメディアは面白いなあということです。Facebookでの身内の中のやりとりは大変面白いですし、役に立つ機能が多くあります。しかし、そこに対して何かPostして反応を期待するというよりかは、オープンなメディアを使ってインターネットに対して投げ込んでみようかなぁという気持ちになります。またそうしなければ、僕自身がインターネット上に存在しなくなってしまうからです。

纏めてみる

つまり何が言いたいのかというと、オープンなインターネットでのアウトプットは面白いですよ、ということです。確かに僕みたいな一般人がブログを書いたりTwitterでツイートしたり要所でコメントを書いたりした所で、外の世界に対する影響力なんて無いに等しいようなものですが、それでもそう言う事を続けていると何かあるんじゃないかなあと思うようになりました。僕がインターネットを語るには到底知識も洞察力もアレなので書きませんが、これからは、とても陳腐な言い方ですが、インターネットでの発信力というものは大変大事になってくるのではないかなあと。勿論、メインとなるのはリアルな世界でどれだけのものを積み重ねられるかということです。どれだけインターネット上での発信が上手くなっても、リアルで何か成果をであったり積み重ねが出来なければ、どのみちどちらも上手く行かなくなってしまうと思います。リアルで自分が出来る事を積み重ねて、同時にオープンなインターネットで自分を上手く表現できるようにすることができれば楽しいんじゃないかなぁと思います。