ブログ書く時に考えていること

最近連日本の内容をブログに書いたりしてる。急にやり始めたんですけど、一応これは理由があってやっておりますよ。単なるブロガーズハイじゃないんですよ。
そもそも、僕がブログを書くようになった一番最初には、なんとちゃんとした目的がありました。

日々の生活の記録をとっておくこと

だったらしいです。
いま、すっごい昔のブログを検索してみたら、ログが残っていてびっくりした。インターネット恐ろしい所ですね…

それで、その目的が、

本の内容を忘れないようにすること

に変化しました。すぐだったと思います。
日々の生活の記録なんてのはまあ手帳にでも書いておけばよい話だったらしい。

とにかく本を読んでも結局あれなんだっけな〜となってしまいコレはどうにかしないとしぬな〜って思って本のことをブログに書くようになった大学生の冬。
しかしこの時点の目的が結構当たりというか、意外とぼくのブログの根幹ってこれしかなかったりするわけです。

昔は誰かに読んでもらいたいとか、アルファブロガーになってアルファブロガーのひとたちに会ってみたいな〜とかあったんですけど、いまはそんなにないです。
ああ、ないのは、アルファブロガーになりたいという方で、有名なブロガーの方にはみなさんにお会いしてみたいです。
ともかく、そんなに簡単になれたらアルファブロガーじゃないと思います。

それに、そういうことを目的にすると、やっぱり書く記事の内容も変えないといけないわけ。
読み手主義の必要性が、少なからず出てくる。

先ず、単なる読書の記録だけしててもアルファブロガーになんてなれるわけない。
そして、ぼくにとって一番大事なのは読んだ本の内容を記録して、知識として蓄積しやすくすることであった。
さらに、もうこれはずっと続けてきたからそうなんだろうけど、このやり方が一番良いことが分かっていたりする。

やっぱりね、記録しないと定着が悪い。これはなんでもそう。
綺麗さっぱり忘れる訳じゃなくても、やっぱり人間なので、その時思ったことだとか、印象だとか、だんだん忘れていく。間違いないです。

でも記録して読み返してみると、あ〜そんなこと思ってたな〜と思い出して、定着していくわけ。
だから、それが分かっているから、ぼくの立ち位置として本のことをブログに書かないとだめなんですね。
書かなくなると勿体ないような気がしてしまう訳です。これは習慣みたいになってるからしょうがないかもしれない。縛り???

完全に脱線したけど、ていうか二行目くらいから脱線したけど、そもそも最近本読んでないな〜って思ったのが年末。昔に比べて本を読まなくなったなぁと。
読書っていうのはもう議論の余地があり過ぎてその意義を定義することは置いておきますけど、基本的にはジョブズスピーチで言う"点"だと思う。

未来に先回りして点と点をつなげることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。
だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。
歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。
たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。

これがあるから、読書を辞めるのはちょっと違うなと思うのだし、本を読まなくなるのはよくないなぁと。
だから毎日ブログに書くようにすれば強制的に読むんじゃなかな〜と思って、やっている訳です。

当然、問題はある。

  • 一冊に対する記事を毎日挙げようとするとそんなに読めない…。
  • 分量の多い本に当たると更新できなくなって、結果的に仕組みが崩れる。
  • そもそも冊数に拘る意味全くないけど一つの記事って考えるとその区切りしか無かったり…。

というジレンマがあって、問題はあるわけです。本のボリュームによって更新頻度をとか決めればいいかもしれないけどね。
でもぼくは意志が弱いですし、それはうまく行かないんじゃないかな〜って。

まあ、だから毎日更新するか〜と思って本を読む訳です。