生きるための根本的な在り方を考え直した時のこと

まだ僕が学生の時で、今みたいにインターネットに脳味噌を浸食される前で、その後こうしてインターネットの中で生きるようになったきっかけのような出来事があるんだけど、その時から変わらず大事だなぁと思うことが3つある。

  1. 専門分野だけを深く学ぶこと
  2. 自分だけで戦える武器を持つということ
  3. 選択肢は無数にあるという可能性を考えること
専門分野だけを深く学ぶこと

毎日時間が無くて、それでもやりたいこと、やるべきことはたくさんあって、というのが大概らしい。僕もそうだ。振り返れば分かるはずだが、人間そんなに沢山のことを出来るようには出来ていない。できるのは、せいぜい3つのことくらいだ。一日に出来ることは3つが限界だし、一ヶ月でできることも3つ、一年で出来ることも3つくらいなものだ。人間そんなに多くのことを達せする程幸せにはできていない。
色々なことを少しずつやって得られるものと、一つのことに集中したのでは、返ってくる報償が全然違う。考えれば分かることだが、いつの時代も信頼を勝ち取る人間と言うのは、一つの分野で何かを成し遂げた人間だ。僕らのメンターを想像したってそれくらいは容易に分かる筈だ。だからやるべきことがたくさんあっても他は切り捨て、多くても3つ、意思があるならさらに切り捨てて1つだけのことに打ち込むと言うことを意識してやっていった方が格段にいい。

自分だけで戦える武器が無いと駄目だということ

自分で戦える武器をもっている人間は強い。物を作れたり解決策を提示できたり、ということだ。自分の武器が無いと世の中生きていきにくいものだと思うし、自信にも繋がるからすごく便利でもある。それだけのアビリティを身につけるのは非常に時間が掛かるが、専門分野を学ぶということでこれと同じ過程を辿ることができる。全てを自分で賄えるのが一番望ましいし、そうではなくても、集団や組織に所属しなくても最終的には生きていけるというアドバンテージを持つことは、精神衛生上にも大変好ましい。

選択肢は無数にあるという可能性を考えること

今自分が見ている世界が全てではない。一人で考えていたら一生知らないまま死んだであろうことは周りに沢山あるのだ。そのすべてを知ったら頭がおかしくなる程度には。インターネットを使うことが出来れば、見えてない世界を可視化するのことができる。スタートはインターネットだと思っていて良いと思う。それから、他人とのコミュニケーションと、勉強と、読書だ。世界は自分が思っている以上には広くて、少ない選択肢の中から答えを選ぼうとすると失敗を掴んで後悔することもあるんじゃないかと思う。後悔しない選択をする為にも、行動の舵を切る時には、選択肢は今考えているもののn百倍はあると考えておく。


今考えてみると、当時はこんな風には思っていなくて、世界の広さと、自分がどれだけ狭い世界で生きてきたのかということを思い知らされ、その衝撃に圧倒されているだけだったように思う。インターネットというのは手段でしかないなぁとは今も昔も同じように考えているし、しかもそれは代え難く新しい手段だなぁということは理解していた。自分だけで知ることの出来る世界はあまりにも狭い。学術や芸術と言うのは一人よりも、他人との共存関係に比例する形で、個に身に付き、発展していくということは間違いない。そういったやり方を可能にし、飛躍的に発展させたのがインターネットという手段であった。