西麻布バブルダイエット


「感想」「立花さんとの出会い」

この前発売されたスマホ向け電子書籍シリーズがどれも面白そうで実は結構ダウンロードしてたりする。

カリスマニュースサイト管理人が15年続けたシンプルな情報収集術を読んで、内容もさることながら、iPhoneで読める電子書籍体験ひゃっはー!と感動したりしていたのだが、続けて@ttachiさんの本を読んで、これがさながら波乱万丈半生を追うような作品でありその僕の知らない世界を見ているようで実に面白かった。

そもそもぼくが立花さんの事を知ったのは、昨年の春に勝間塾に行って意気揚々と感想エントリーを書き、まだ誰も書いていないだろうなーへへへ一番乗りとか抜かしてGoogle先生エゴサーチしていたら、なんかすごいうアルファな感じのひとが同じように勝間塾のエントリを書いていて( ゚д゚)となっていたのが始まりであった。よくよくそのブログを見ていたら他にもホッテントリ入りしている記事などを沢山書いていらしたので、「勝間塾にもこんな人がいるのか。これはいつか会えるかもしれんなー」と思っていたのであった。そして夏になって夏期講習に行ったところ、僕は立花さんの顔が分かっていたため、「この人だ!」と思い声をかけてみたらやはりそうであり、その時から立花さんは大変気さくな方で、色々と話をさせてもらい、帰ったら早速フェイスブックで友達申請が来ていて感動したものであった。これが立花さんとの出会いであった。

それから数日後だったか、フェイスブックで立花さんのタイムラインから「豚組なう」が流れてきたことがあった。兼ねてから豚組行ってみたいぜーと思いながらタイミングを掴めずにいたぼくはここぞとばかりに「豚組一度行ってみたいです!」みたいなリプライをした所「今度行きましょう!」との返事を頂き、このチャンスを逃すまいと思い早々とスケジュールを組んで知り合いを呼んで食事する機会を頂いたのであった。そもそも豚組に行ってみたいという気持ちが最初は強かったのだが、当日になる事には月に160PVを稼ぐアルファブロガーである立花さんと話をすることが完全にメインであった。なんか色々なしゃぶしゃぶ用のソースとか塩とか出てきたけど、それよりも話をしている方が面白かったので、実は豚しゃぶの味を良く覚えていない。また行きたいので誰か行きましょう!

その後、勝間塾の月例会やオフ会で会ったり、@Shorty_Peachyの誕生日会で会ったり、ツイッターで日々細々と交流をさせて頂いている。*1基本的に立花さんのNo Second Lifeは毎日チェックしているがブログの更新頻度やばいしご飯が朝昼夜全部おいしそうでやばい。よく考えたらぼくみたいのがこうして関わらせてもらっているのはすごいよなーと思いながら、今回の電子書籍化の話があったのでこれは買いだなと思って早速ゲットした次第であった。

どんな内容か、正直な所全く予想していなかったぶん、「おおぉこういう感じできたんですな」という意外感が大きかった。これはもう買って読んでみて欲しいとしか言えないが、バブルというものの記憶が殆どないぼくにとってはある意味知らない世界の話であり、こういう体験をした人は多いのかなとか、何より自分の身近にいるすごい人の半生を覗き見るというのは得てして楽しいものだ。趣味が良いかどうかは置いておいて。読んでみると分かるが、とにかく立花さんのエネルギーをばしばしと感じて、目的達成のために仕組みを考えるとはまさにこういうことだな、というのが良く分かる。

memo

金曜日の夜などは、六本木の交差点から東京タワーに向かう外苑東通りにかけては、スクウェアビル方向に向かって大混雑となり、三社祭の日の浅草仲見世のような大混雑が真夜中過ぎまで延々と続いていました。

崖の上の家を売却したあとは、ずっと賃貸暮らしが続いていた僕ら立花家ですが、祖母が音楽教室ビジネスを成功させ、念願の一戸建てを麻布にゲットしたと言う訳です。

日本社会の直ぐ目の前に、断崖絶壁のような「バブル崩壊」が待ち構えていることなど、当時の日本人はほとんど考えてもいなかったと思います。「何かおかしい」「このままいくはずがない」とおぼろげながらに感じながらも、目の前のキラキラした世界に眼がくらんでいたのだと思います。

ただ、どんなに頑張っても、いずれ駄目になるということは、家族の皆が気づいていました。この頃には「バブル景気」「バブル崩壊」という言葉もすっかり定着していて、当時の日本が極めて異常な好景気にあったこと、そして日本の中でも最も地価が激しく上がった場所に僕たちがいて、そして一番ひいてはいけない「ババ」を自分たちがひいてしまったらしいということにも、祖母も母も、そして僕も気づいていました。

そして昭和48年に60歳を過ぎて気合いと根性で立てた我が家は、それから25年を経て他人の物になってしまいました。

その時、僕の中で何かが弾けました。陳腐な例えですが、何かが心の中でスパークしたのです。僕は全く迷いなく借金を今後僕が代わりに引き受けることを母に約束し、当時家を出ていた弟には家に戻り母をサポートするように言っていました。

この「リベンジ」を機に、色々勉強しようと、ビジネス書を読むようになったのですが、ただ読むだけだと内容を忘れてしまうので、ブログにレビューを書いておけば記憶に残るだろうと思っていました。

他人から見ればまっすぐ自分の目的に進んでいたように見えるかもしれません。でも僕自身は、常に周囲からの期待や要求を前提に進む方向を決めていました。「周囲の影響を受けて自分が優先していくと自分で決めている」ということを。

あまりにも長い、我が家のバブルの亡霊との闘いが、やっと終わりました。

「こんな個人的な、しかも中途半端な規模の借金返済の話を読みたいと思ってくださる方がいるのだろうか?」と思いましたし、こうして原稿を書き上げようとしている今も、その思いは変わりません。

*1:ちなみに立花さんは完全に朝方でぼくは仕事柄夜型なので、ツイッター上でゴールデンタイムが重なる事が少ない