私の脳科学講義

私の脳科学講義 (岩波新書)

私の脳科学講義 (岩波新書)


新書で軽く、内容は厚く。脳科学の入り口ともとれるし、それ以上に踏み込むこともできる。脳に対する考え方が変わり(と脳で考え)、そして周りの見え方も変わるような本。

人間はまさに「考える葦」です。人間において最も進化した心の現象の基盤をなしている脳のはたらきを解明する事が、すなわち人間が何者であるかを知る事につながるわけです。


心は心であって脳であるか。僕はそう考える方が好きだ。

「内容のない人間と付き合っているのは、その人自身の能力のなさをしめしているというのが私の考えです。そんな人とは縁を切れと言いたいです。手を切ると先が大変だと思うのは、その人の能力の限界です。たとえば、その人が上司であった場合、その人の部下に甘んじているという事自体が、その人の能力の限界をしめしていると思います。」


重々承知しているが耳が痛い。自分の今いる環境に照らし合わせると、僕はまさしく内容のない人間としか付き合う能力しかない人間である。いまそうであるということは、その状況から脱するためには少し努力をしたくらいでは足りないのだろう。尊敬してしまうような人と付き合うためには自分も尊敬される必要があるから、どれだけ環境が変わっても満足するということは僕はないのだろうけど。

「私も含めて文学に携わっている方は、この世界には精神世界と物質世界の二つがあって、物質世界を解明するのがサイエンスの役割で、サイエンスに精神世界まで解明されてたまるかという思いを抱いていらっしゃる方は非常に多いと思いますね。ただやはり精神活動が、脳をもとに行われているという事を考えますと、文学もいずれは脳科学に集約されていくのかなという気がしますけどね。」


成る程真理かもしれない。いわゆる”科学的”な視点から精神活動というものを観察すると、全ては脳、遺伝子の活動結果であり、それらを研究する事によって精神活動を科学的に説明する事は、十分可能だ。そんなことが現実となったら、そのときにはもう心なんていうものに対する考え方ががらりと変わっているかもしれないけれども。


あまり内容に触れなかったけど、そんな時もある。