傍観者の時代

作者:P.F.ドラッカー
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2008/5/15

ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)

ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)

ドラッカーが関わってきた人物を取り上げることによって、彼の価値観・性質を自伝のように書き記した本。フロイトキッシンジャー・アルフレッド=スローンなどをはじめ、世界中で権威とされる人物達が次々に登場するので、自然と自分の視点が世界という高いレベルに引き上げられた。
本を読んで改めて思ったのは、日々思考を繰り返す中で、俯瞰的な視点を持つことの必要性だ。毎日同じような生活を繰り返していると、どうしても客観的な視点というものを見失ってしまいがちになる。具体的に物事に取り組むことは何よりも大事なことなのだけれど、logicとartのバランスを取ることが大切なのと同様に、具体的なレベルでの視点と俯瞰的なレベルでの視点を常に併せ持つことも必要だ。このことは本書の内容とは直接は関係無いのだけど、本全体を自分に取り込んだら思うところがあったので、ここに書き記しておくことにした。

読書メモ

そして何よりも、おばあちゃんが知っていたことは、コミュニティとは、金やサービスや薬の支給のためだけのものではないということだった。それは思いやりの世界だった。オルガさんの工学専攻の甥のことを覚えていることであり、彼が学位を取ったことを共に喜ぶことだった。

コミュニティの中で生きるときに、何を大事にすればいいのかということ。

「でもヘムが正しかった。いつもヘムが正しかった。しかしヘムは、見込みが無くとも、正しいと思ったことには全力を尽くしてた。」

自分が正しいと思うことに全力を注ぐのにはたいへんな労力が要る。でもそれくらいやらないと生きていてもつまらないような気がする。

彼女は助けを求めるのではなかった。相手が処理に困っているに違いない問題に解決策を示してやるのだった。

仕事と関わりのありそうなフレーズだったので抜き書き。営業の仕事でも同じような事をする必要がある。

カールのお給料を私たちのために使うなんて」「でも普通は」「私たちハンガリー人は普通の状態じゃないんです。ハンガリーからの難民があふれかえっています。食べられない人が大勢います。カールは稼げます。ですから、小切手は人にあげて、私たちの分はなんとかするのが、当たり前のことなんです」

ぼくは社会主義という存在に疎い。というよりも政治的な問題に疎い。もちろん社会主義というのは政治的な側面を持つだけではないと思うのだが、社会主義と聞くとどうしても政治に結び付けて考えてしまう。政治のことを学んで、自分の知識とつなげられれば一番良いと思うのだけど。

しかし、ちょうど16世紀から17世紀にかけての、カトリックプロテスタントの融和を目指した哲人達の失敗がその50年後の「宗教の時代」の終焉を予告したように、資本主義と共産主義を超える社会を求めたポランニー一家の人達の挫折もまた、やがては「社会の時代」の終焉を予告するものだったということに十分なりえるのではないだろうか。

政治システムの変遷?この辺はやっぱり疎い。

私たちはすぐに二人の答えが違うことを知った。しかし問いは常に同じであることを知った。二人ともまだ若かったが、重要なのは問いであることを知っていた。そこで私たちは、それぞれが互いを使って自分の考えを確かめていった。

「重要なのは問いである」というのは、ある意味ブレイクスルーだった。確かに「問い」は思考の出発点であり、人の考え方が表れる部分だ。そのことがあまり分かっていなかった。

私が思うに、世の中には、いつまでもバッタのように個別の問題に取り組んでいる人がいる。一般化することが出来ずに、コンセプトを把握することが出来ないでいる。科学者にもいるしビジネスマンにもいる。
ところが優れたビジネスマンは、優れた科学者や優れた芸術家と同じように、ヘンリーおじさんと同じ頭の働きをする。最も個別的、最も具体的なことから出発して、一般化に達する。

仕事をするに当たって役に立ちそうだったので抜き書き。一般化することが大事なのではなくて、具体的なことと一般化できること往復できるようになれると良いと思う。

確かにパールブームは財務の天才だった。国の予算であれ会社の財務であれ、ちょっとした事から問題点を見つけることが出来た。2週間後には対策まで練っていた。簡単で、完全ありながら、しかし誰も気付かない解決策だった。

こういう事ができるのは天才なんだろうな。経験と才能。

すなわち、賃金や昇進などの労働への対価は、ハーツバーグが名づけた衛星要因に過ぎないと言うことだった。それらのものの不満はマイナスに働くが、それらのものへの満足はさしたるインセンティブとはならない。成果、貢献、責任こそ、動機付けの最たるものであると言うことだった。

なるほど確かに、仕事を始める前の学生時代には、仕事に対する動機は金という報酬が占める割合が大きかったが、今仕事に求めるものは何かと言われたら、大きく言ってしまえばそれは”やりがい”だと思う。この辺の感覚は、学生の間には耳で聞いてもよくわからなかった。たぶん3年後にはまた違った動機で働いている気がする。

誰か幹部の一人が無責任な事をしたらしかった。(中略)「辞めさせればいいではないですか」。スローンは我に返ったようだった。「辞めさせる?なんて考えだ。奴は仕事が出来るんだ」

逸話というか、どこかで同じ話を読んだ覚えがある。ドラッカーの別の本??面白い。

追記

最近ずっと研修で提案演習をやってきて、今度発表がある。
結構長い時間をかけて取り組んできたので、その間に学ぶことも多かった。
チームプレーをするときに考えることとか、そもそも提案に関する考え方とか、プレゼンの方法だとか、とにかく色々な事を学んだ。
機会があったらまとめてアウトプットしたい。