フェルマーの最終定理

作者:サイモン・シン
出版社:新潮社
発売日:2006/6/1

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

x^n+y^n=z^n
この方程式はnが2より大きい場合は整数解をもたない

もの凄い面白かった。久しぶりにヒット。
内容はタイトルの通りで、フェルマーの最終"予想"を証明するために格闘してきた数学者達の歴史物語。何よりも面白いのは、一見すると中学生にも解けそうなこの定理が、300年もの間誰にも証明されることなく生き残ってきたということ。また、この定理を証明すること自体には意味が無いにも拘らず、証明の過程で現代の数学の基礎となる様々な定理や概念が発見されてきたということだ。
元々数学は好きなのだけれど、専門として研究していたわけでもないし、僕自身は高校数学の知識も覚えているか自信が無いくらいだ。しかしそんな乏しい知識でも十分楽しめるほど、この物語は魅力に満ちている。本が好きな人には全員に読むことを強要したいほど面白かった。しばらくミーハー的なノリで数学の歴史物語を読んでしまいそうだ。

引用箇所

  • 人類は、宇宙を構成する基本粒子を突き止め、人間を月に送り込みもした。だが、数論におけるフェルマーの最終定理は、当時のままの姿を留めていたのである。
  • ある意味で数学者はみな、一人ひとり別の道を辿り、別の目標を立てながら、実はフェルマーの最終定理に取り組んでいたのだという。なぜならばその証明には、現代数学の全てが必要だったからである。

フェルマーの最終定理には神秘性や偉大さといったものを感じずにはいられない。その主な理由はこうした事柄だろう。

もっともよく知られた無理数はπだろう。学校では、3+1/7や3.14のように近似値で表されることもあるが、πの本当の値は3.14159265358979323846に近い。(中略)このランダムなパターンには美しい性質があり、極めて規則的な次の式から値を求めることができる。
π=4(1/1+1/3+1/5+1/7+1/9+1/11+1/13+1/15+…)

πがこんな式で表されることは知らなかった。勉強したのかもしれないが、考えがそこまで至ってなかったのだろう。

インドの数学者達は、ゼロが”無”を意味していることに気がついたのである。こうして”無”という抽象的概念にはじめて具体的な記号が与えれることになった。

数学におけるゼロ”0”の発見。あまりにも存在が当たり前すぎて、実感がわかない。自分も生きているうちに確定的に新しい概念というものに出会ってみたい。

  • オイラーにとってのせめてもの慰めは、世界一の難問に最初の突破口を開いたことだった。
  • その様子を見た仲間の数学者たちは、失明がオイラーの創造力を押し広げたのだろうと言った。

始めのキーマンであるオイラー。彼は”解析学の権化”と呼ばれた数学の天才であったのにも関わらず、フェルマーの挑戦の前に膝を折ることとなった。
また、失明後にこれまで以上の功績を残していたということが何か引っかかった。おそらく脳と神経との関係で、視覚が使えなくなったかわりに他の神経が発達することになったのだろう。例えば、右利きの僕が左手を中心に生活を送る王になったら、間違いなく脳の動きは活発化すると思っている。

フェルマーの最終定理は数学のセイレーンなのだ。天才達を魅惑の声で誘っては、その希望を打ち砕く。

数学のセイレーンとは言い得て妙だと思う。数学の世界に身を置いていればそんな感じなのだろうか。

引き続き感想

引用部ではあまり書かなかったが、この本が面白いのは個性豊かな数学者たちのおかげだ。オイラーガロア、ソフィー、谷山、志村、ワイルズ…。本を読んでいると彼らのフェルマーの最終定理に対する情熱がひしひしと伝わってくる。ちなみにぼくはガロアが好きだ。彼は数学の申し子と言ってもいいような天才でありながら、実際には数学を学ぶことができたのは5年間だけであったという伝説のようなところがいい。数学は、本当に面白い。