ウェブ時代をゆく―いかに働き、いかに学ぶか

作者:梅田望夫
出版社:筑摩書房
発売日:2007/11/10

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる - THINK CIRCUITの続編。
前作では主にオープンソースWeb2.0Googleといった新しいウェブ・テクノロジーとその登場に伴う僕達の生活の変化について書かれていたが、続編とも言えるこの"ウェブ時代をゆく"では、そのウェブ・テクノロジーがインフラとして定着してきたことを前提として描かれていて、前作を上回る"アツイ"作品となっている。

もうひとつの地球

なぜ"ウェブ時代をゆく"が"アツイ"作品なのだろう。それはおそらく、16世紀にコロンブスアメリカ大陸を発見してヨーロッパ人達を大航海時代に駆り立てた時と同じように、今度はインターネットの発達によって、その向こう側に"もうひとつの地球"があるということを教えてくれるからである。
この"もうひとつの地球"という表現は、書いている僕自身も完全に咀嚼し切れていない。しかし概念的な理解として、これまで以上にネットの向こう側というものに近づけたと感じている。作品中にも何度となく"もうひとつの地球"という表現が登場している。

  • 「もうひとつの地球」を健全に進化・発展させていくためには、より良く生きることへの意欲を持ち何らかの分野で秀でた人が、「パブリックな意識」を強く持ってそこに関与していくことである。
  • 「経済のゲーム」のパワーで産業構造がガラガラと変わるのではなく、「知と情報のゲーム」のパワーで、私たち一人ひとりの心の在りように変化を促していく。「もうひとつの地球」の本質はそこにあるのだ。
  • 「もうひとつの地球」が「人生のインフラ」になるこれからの時代に、与えられる自由や利便性の代償として、私たちは「新しい強さ」を身に付けていく必要があるのだ。
  • 「もうひとつの地球」の登場によって、時間の使い方次第で、差はどんどんつくようになる。それは不可逆だ。

海外に行くということ


"もうひとつの地球"に少なからず足を突っ込んでみて、一つ気が付いたことがある。それは、もし僕がこれから先もずっと"知"というものに関わり続けていく場合、日本に留まらず海外をまわる必要があるということだ。これはどういうことか。


僕はインターネットを通じて様々な情報を得たり発信したりすることで、情報へのアクセス量を増やすことが可能だと自負している。そして、一定の基準を超えれば、量で質をカバーすることができるとも思っている。
この"情報へのアクセス量の増加"というものは、そうしない人と比べると圧倒的なアドバンテージとなる。つまり、今や誰もが"もうひとつの地球"と関わることができるにも関わらず、そうしない人がいることで、その二者の差は広がっていくばかりなのである。いわゆるデジタル・デバイドだと考えてくれればいいと思う。


これを日本とアメリカの関係に置き換えてみる。
日本に住んでいる人で、日本とアメリカを容易に行き来することを可能にしている人は、アメリカに行くことで、文化・言語・風習等をはじめとする、そうすることでしか得られない様々な情報を得ることができる。そしてこの貴重な体験は、ずっと日本に留まっている人に対するアドバンテージとなる。
アメリカに行くというのは、インターネットにアクセスするほど容易な事ではないが、今の時代では行動力次第でどうにでもなる問題だ。しかし、その行動を起こさない僕のような人間がいることで、その人達との経験の差は広がるばかりだ。


つまり何が言いたいのかというと、インターネットの力を最大限活用しないで情報へのアクセス量を減らすことと同様に、日本に留まっているということは自ら知識・経験への扉を閉ざしているようなものなのだ。
もっとたくさんのことを知ろうと思ったら、海外へ行くという事は"するべきこと"なのである。

あとがき

ハワイとグアムしか行ったことが無い人間(しかも親に連れられて)が何を偉そうに抜かすかということは置いておく。
こんなことを書いたところで、僕は少なくともこの1〜2年の間は海外に行かないだろう。行動力が無いからだ。
救いがあるとすれば、自分の行動の輪を広げていくことで、海外に行くということが自分の行動の選択肢に入る可能性があるということくらいか。それはそれで十分でもある。