マラソン大会とWALL・E

今日


所沢シティマラソンに出た。
睡眠不足を押して出走したせいで、帰りに所沢から池袋行きの電車に乗ったのに、なぜか所沢で降りると言う珍事に見舞われた。
が、それはいい。何故そうまでしてボクはこのハーフマラソンに出たのか。


基本的に


人生は、読書(学業)と運動で成り立つと考えている。

人生において成功するために、神は人にふたつの手段を与えた。
教育と運動である。
しかし、前者によって魂を鍛え、後者によって体を鍛えよ、ということではない。
その両方で、魂と体の両方を鍛えよ、というのが神の教えだ。
この二つの手段によって、人は完璧な存在となる。ープラトン


これは、抽象化してみると、頭と体だ。
往々にして、今の現代人は、この体というのを働かせる事が中々難しい。
何故だろう。情報化のせいだ。
農業をしていた時は、体を動かす事で収入を得ていた。少なくとも、明治時代までは日本人はそうして行きてきた。
しかし、日本の近代化が進むにつれて、頭を使う方が高い収入を得られるようになってきた。
つまり、希少価値だ。だれでもできる農業よりも、知的労働の価値が高まったのだ。


発展途上国では、この頭と体を使うバランスが、今の日本とは異なる。体を使う比重が大きくて、頭を使う比率が少ない。
そして、情報化の波のスピードからして、いずれこの世の中での肉体労働の価値はどんどん下がってしまうはずである。技術の発達と、ロボットの登場だ。
そうなってくると、いよいよ僕たちは体を使わなくなる。
ディズニーのウォーリーという映画をご存知だろうか。何百万人もの人が乗れるとてつもない大きな宇宙船、要するにノアの方舟、の中で、人々は体を動かさず、全ての行動をロボットに頼り切り、丸丸と太った豚のような姿で描かれる。
あれが最終的な僕たちのすがたなのである。



※イメージしていた人間の画像が無くてこんな可愛い画像になった末路

さて


話を戻そう。
何が言いたいのかと言うと、ボクは、頭と体をバランスよく使いたいのだ。
どう考えても、今の日本で生きていると、このバランスが、異常になってしまうのだ。
可笑しいだろう。昔の人間は毎日、朝から晩まで、畑仕事をしていたのだ。狩りをしていたのだ。体を動かす事が生きる事だったのだ。そういう構造で、人間はできているはずなのだ。
それがどうして知的労働だけで生きていられようか。
細胞レベルで、体を動かす事は人間が動くエネルギーのようなものなのだ。そして、頭も使う必要があるのだ。
体を酷使しすぎると、細胞の老朽化が早く進む。その分は、頭脳で補わなければならない。だから、バランスなのだ。
頭の使い方と、体の使い方の、バランスをとることで、初めて正常な状態で人は生きていけるのである。
このままバランスが崩れていけば、ウォーリーの世界がもうすぐ実現するだろう。そんなのはまっぴらご免だ。ご免被る。ロボットにやらせるようり、走った方が気持ちいいよ。


という夢を見た。